カウンセラーや民間療法などに多額の金を払う前に
忙しすぎて全くブログ更新が出来ない汗
今も忙しいので手短に終わらせる。
何万も何十万もする民間療法を考えている神経症で悩みまくりのあなたへ。
そのお金で何ができるか考えて欲しい。
民間療法やカウンセリングを否定する訳ではない。
安くできる方法はいくらでもあるといいたいのだ。
お金をたくさん払う前に色々な本などを読んで欲しい。
胡散臭い自己啓発本でも良いし
有名な自己啓発本でも良い。
知るという事ならお金をそこまでかけずにできる筈だからだ。
そして意外なところにヒントがあったりもするのだ。
おすすめはカーネギーの道は開けるである。
他にも良い本はたくさんあるはずだ。
良書は神経症云々関係なくその人を成長させてくれる。
盲目的に効果があるかもわからない民間療法に手を出すならばその前に色々本を読んだりしてみることを考えて欲しい。
今日伝えたいのはそれだけだ。
神経症で悩んでいる人に絶対1度は見てほしいブログ
テスト、テストの連続で久々の更新になってしまった。
医学生というのは本当に忙しい特に4年にもなると。。
今回は神経症で悩んでいる人に絶対1度は見てほしいHPを紹介したい。
その前に神経症関連の情報でネットに転がっている情報というのは使えないものばかりというのが昨今の現状という事を諸君にもう一度認識してもらいたい。
皆さんもご存じのとおり神経症関連の情報で特にネットに挙がっているものは商売目的であったりとか森田療法に対する批判だとかただ現状を嘆くだけの記事が大半というのが明白である。
まあそれも仕方ない。そもそも森田療法というのがあまりにも本質的で難解だし神経症の治し方を言葉で説明するというのは本当に難しいからだ。
自転車の乗り方を教えるような難解さがある。
それに加えて神経症とか精神不調というのは非常に商売に好都合な代物だ。
そして神経症を治した人はそもそも神経症についてわざわざネットで語らない。理由は単純にめんどくさいからである(笑)
セルもこの記事は暇つぶしとボランティア目的だ。そんなもんなのだ。
ゴミ屑みたいな知識が蔓延するのも無理はないのである。
だが、これだけの情報過多社会で画一した情報がないのも本当に珍しい。それだけ神経症というジャンルは特殊なのかもしれない。
だからといって仕方ないで終わらせてほしくないのがセルの願いである。
質の低い情報は質の低い結果しか生み出さないからだ。
これは何も神経症云々に限った話ではなくスポーツも受験勉強も楽器の弾き方も全部でここに例外はない。
だからどうか頼むから神経症を治したいのなら2ちゃんねるのようなレベルの低いゴミだまりのようなサイトは一切見ないようにしてほしい。百害あって一利なしである。
代わりにセルが神経症を克服するうえでの一番のきっかけになった非常に頼もしいブログを紹介しよう。
それがこちら
「神経症日記」である。
どっかの記事で以前にも紹介したとおもうが
この情報過疎界隈でまさに秘伝のブログといっても過言ではない。
記事というよりも記事のコメント欄が非常に優秀選手ぞろいでそれらのコメントを見ていくうちにセルは神経症を克服する感覚というのを覚えたのだ。
まさに命の恩人である。
なぜこんな素晴らしいブログがネットのゴミ情報に埋もれているのか理解ができない。
無為療法のHPをみるくらいならこっちをおススメしたい。
こんな私のブログや斎藤のHPなんかより100倍見る価値がある。
百聞は一見に如かず。順番に噛みしめるように見てほしい。
きっと間違いなく何かしらのヒントが得られるであろう。
では皆さんのより良い日常を過ごせることを祈る!
頭が良くなりたかったら水を飲むべし!!
今日は諸君が大好きな頭良くなる系のネタを投稿する。
水の恐るべき効果
みなさんは普段何を飲んでいるだろうか?
コーラ、オレンジジュース、緑茶、麦茶、牛乳、、、。
様々だと思う。
だがここで提唱したい。健康になりたければそして頭が良くなりたければ水を飲むべきであると!
セルは必ず毎朝水を飲む。
水(ミネラルウォーター)はめちゃくちゃ身体に良いという事を知っているだろうか?
まず血流が良くなる。血流が良くなると体温が上がるその結果肩凝り、腰痛、冷え性などが改善するのだ。
また代謝がアップすることでダイエット効果、美容効果も得られるのだ。
そしてここがさらにすごくて水は不純物がないために体内の老廃物・毒素を排出してくれるのだ。むくみや便秘解消にもなるのだ。
このように水は体に様々な恵みをもたらしてくれるのだ。
なぜであろうか?答えは簡単である。人間のカラダの60パーセントは水でできているからである。
お茶でもいいんじゃないの?みたいな意見があるがお茶は不純物を含んでいるからダメなのだ。
水を飲むことを強くおすすめしたい。
そして水はカラダのみならず脳にも良いのである。
水を飲むだけで注意力が23パーセントもアップしたという面白い論文がある。
さらにイギリスの研究ではお茶を飲んだグループに比べて水を飲んだグループはコップ一杯の水だけで集中力と記憶力がアップしたという結果に!
水を飲むと頭が良くなるのである。
この理由は脳の80パーセントは水でできているからである。
ある意味あたりまえといえば当たり前なのだ。
ここから始めよう
早速実践しようと思った諸君は是非水を飲んでほしい。
そして飲むなら朝に飲んでほしいのだ。
飲むのに一番効果的な時間帯というのがあってそれは朝であるからだ。
人のカラダは朝に一番ものを吸収するように出来ているからだ。
まずいから続かないだろって思っているだろうが朝コップ一杯の水で効果抜群である。
それに冷やせば水はおいしいのである。
水は味わうものではなく冷たさを楽しむものなのだ。
これを試せば間違いなく頭の回転が良くなっているというか調子が違うのを実感していただけるであろう。
安価で手軽だし節約にもなる。
健康でありたい人とくに頭が良くなりたい人は試さない手はないだろう。
苫米地氏曰く悩みや不安を持つのは馬鹿だからだそうです。
youtubeで色んな動画を見ていたら苫米地氏が悩みについて語っている動画が出てきたのでついでにここで紹介。
苫米地氏については他の記事でもちょいちょい取り上げたりしていてセルは個人的には好きな人物なのであるが胡散臭く好きじゃないという方も多いであろう(笑)
だが今回の動画は中々面白い事を言っていたので紹介しておく。
悩みや尽きない不安というのは何故生じるのだろうか?
以下の動画をみるとそのヒントがわかるかもしれない。
この動画の内容を以下にザックリとまとめると、
悩みや不安というのは悩みや不安以外の感情を定義したときに生じる一つのゲシュタルトすなわち現象に過ぎないと言っている。
悩みや不安があると思ってしまうから悩みや不安があるわけである。
ないものをあるかのように勘違いしているから悩み人は馬鹿であると苫米地氏は語る。
また悩みと不安は本来違うので同じにしてはならない。
本来の悩みは問題解決を思考している状態なので前頭前野が働いている状態。
一般的な悩みとは悩みに対して浮かんでくる情動であり不安と同じである。
彼の動画の内容をざっくりまとめるとこんな感じである。動画の最後は脳の働きと宣伝と曖昧な締めになっていてどうも締まりが悪い感じがしたが(笑)
だが、
悩みや不安とは取るに足らない現象であるという部分は妙に納得がいった。
また不安や緊張状態のときは人はIQが一時的に下がる事がわかっているがそれも悩みや不安に捉われる事そのものが馬鹿であるからという苫米地氏の発言と一致していると思った。
ほおっておくとスウッと消えてしまうあの心の働きは悩みというものを取るに足らないと考えるから起きるのではないだろうか?
デールカーネギー著「道は開ける」の151ページに
注意を払うとは問題の本質を見極めそれを処理する事である。悩むというのは、常軌を逸して無益な円の周りをグルグルまわることなのだ。
とある。
これはまさに苫米地氏のいう悩みと同じではなかろうか?
頭がいい人になりたければ建設的で豊かな毎日を送りたければこの本来な意味での悩みを実践しよう。
そして自分が悩み、不安に陥っているのならばそれは自分が馬鹿な状態になっているからだけなんだと思ってはどうだろうか?
ちょっと捕捉になるが知る事で悩みや不安が解消されることがある。
これは何も珍しいことではなくNLPの世界ならば普通の話でだからこそ相手に気づきを与えるようなカウンセリングなどが今日沢山存在するのだ。最もカウンセリングは金がバカ高くカウンセラーの質が高くないと効果がないのでセルは進めないが。。
ことわざにも幽霊の正体見たり枯れ尾花というのがあるがこれは恐ろしいと思っていたものも、正体を知ると何でもなくなるということのたとえである。
だからこそこのブログでは色んな事で悩んだり不安になっている人に気づきを与えようとそのヒントをちりばめているのだ。
あくまで悩みは不安(この場合は一般的な意味での)とは自ずと解決がなされるものであると思っている。だがそのために色々知ったりして正しい見識を得る事は大事である。本質とははっきりと得るものではなく多角的にスポットライトを照らしてぼんやりと見えてくるものだと思うからだ。
正しい見識を得て悩みから脱却しよう。ではでは
モテたい男性諸君へデートの際は必ず○○○○するべし。
今回は恋愛ネタである。
モテたい男性諸君は必見である。
モテたい男は必ずデートの際に○○○○をしなさい!
答えは・・・・・
・・・・そう香水をつけなさい。
香水をつけるべきか否かというのはモテる上で重要だのそうでないだの盛んに騒がれているがセルから言わせてもらえば疑いの余地なくつけるべきである!
それは何故か説明しよう。
これは超シークレットネタなのでぶっちゃけあまり公開したくなかったが知ってしまった以上誰かに教えたくなるのが人間の性(笑)
このブログを見てくれている諸君に特別にその理由を説明しよう。
それはずばり人間の嗅覚にある。
他の視覚だとか味覚や聴覚などと違い嗅覚というのは少し変わっているのだ。
前の記事でもガッツリ説明したと思うが
嗅覚というのは大脳辺縁系という人間の感情を司る領域にダイレクトに情報がいくのだ。
他の嗅覚以外の感覚というのは一度脳の視床という情報を処理する部分で調整されてからその情報は前頭前野に送られる。
ではここに一体どんな違いがあるのだろうか?
そう賢く感の良い諸君はもう気づいた事であろう。
臭いという感覚はこうした脳の情報処理の性質があるためダイレクトに人間の感情に訴えかける事ができるのである。
つまり良い匂いを嗅いだら必然的に良い感情を感じてしまうのである。
そう良い香水の匂いを発する人は嫌でも良い感情を抱いてしまうのである!
あなたが良い匂いの香水をつけるだけで
「なんかこの人良い匂いするわきっとこの人は好い人に違いないわ抱いて欲しいわきゅんきゅん」となってしまうのだ!!
しかも嗅覚という五感を通した良い感情は記憶に残りやすいので
デートが終わっても
「あの時の匂いはなんかよかったなもしかして私はあの人の事が好きなのかもきゅんきょん」となってしまうのだ!!
良い匂い。良い感情を感じた。=あの人は好い人に違いない。
間違った解釈!?
これはどっかで聞いたような・・・。
そう認知的不協和も同時に働くのである!!
しかもここにさらに歌舞伎町ホストも使うトリプルスーパー最強裏ワザがあって
香水をシャンプーの匂いやせっけんの匂いの香水にするのである!!
こうする事で比較的万人が良く嗅ぐ石けんの匂いから元彼などとの良い思い出が必然的に思い出されてそれがあなたと一緒にいる記憶と結びつきあなたに対して更に良い感情を抱くのであーる!!
もう危険すぎてセルは正直震えながら記事を書いている所存である!!
どっかのネット上の数万もする似非恋愛マニュアルなんぞよりずっと実践的な気がしませんかね皆さま!?
ただし一つ注意点があり匂いがきつすぎると逆効果になるという点がネックである。
くれぐれも量には注意しよう。
そして悪用はくれぐれもしないように!!ではでは!!
【神経症コラム⑦】確からしさを感じることの大切さ。
しばらくぶりの更新。
忙しくてなかなか更新できず申し訳ない。
CBTやらなんやら忙しく漸くほっと一息とれて更新出来るといった感じである。ホリエモンだのなんだのが大学はいらないだの大学生は勉強しないだのなんだの言ってるが医学生とは例外で本当に忙しいとつくづく思う(笑)
さて久しぶりの神経症ネタである。
今回は、いや今回も死ぬほど大事な事を書くので耳の穴をかっぽじって聞くように(笑)
さて神経症者は日々の生活を苦痛と闘いながら過ごしている訳であるが
強迫観念を無視してもあまりにしつこいので本当にこれでいいのか?と悩む事が何回も何回もあるとおもう。強迫性障害の人は強迫行為に走りたくなると思うしそうじゃない人はあまりの辛さにその場しのぎの精神論に頼りたくなるのだ。
それくらい強迫観念はしつこいのだ。
むしろ悪くなっている気さえするのだ。
だがここが落とし穴である。ここでまた結局治りっ子ないと諦めて強迫観念やらその場しのぎの精神論やらに頼るとさらに悪化してしまうのだ。
ここはグッとこらえて欲しい。
まずはむしろ悪くなっている気がするというのは正常な感覚でありそれこそが真の薬であると心得よう!
これを心得るだけでだいぶ違ってくるはずである。
そしてもう一つ大事な考えを伝授しよう。
それは確からしさを感じるという事である。
確からしさとはこれでいいのだとかこれこそが真理であるとかきっとこういうあり方に正しさがあるといったいわば自身の直観のような感覚である。
これは言葉で説明するのは難しいが言葉にできないからこそ身を以て感じてほしいのである。
例えばあなたが車を運転していて誰かをひいてしまったのではないかという嫌なイメージが頭を占拠してしまい確認してしまいたくなったとしよう。そのときにこのときはどこに確からしさがあるのかというのを肌で感じて欲しいのだ。
間違いなく車を止めて確認することに確からしさは無い筈である。
車を止めないで嫌なイメージが浮かんだまま車を運転するという目的を遂行する事に確からしさを感じるべきなのだ。
ここで大事なのは言葉を使わない事である。
あるがままとか今が大切だとか自分に言い聞かせてその場をなんとかやりくりしたり身体をつねったりしてごまかしたりするのはやめて欲しいのである。
ただ「ああこれでいいんだな」と感じて欲しいのである。
こんな事言ってもなかなか伝わりづらいかもしれないがある日その感覚というものがふとした瞬間にくるのである。もう既にその感覚がわかっている人はその調子である。
抽象的なアドバイスになってしまったが参考になれば幸いである。他の記事と合わせて参考にしてみてほしい。
【神経症コラム⑥】いかにも健常な人であるかのように振る舞ってほしい。
台風で外出れないので暇極めて久々のブログ更新。
今回も神経症ネタである。
神経症の方とくに神経症真っ只中で辛い方はきっと台風どころの騒ぎじゃないであろう。そんな諸君にHOTな記事を今回も。役に立っていただけたら幸いである。
どうしても辛くて仕方ない。いくら情報をかき集めても頭が真っ白になってしまう。もがけばもがくほどつらいループにはまってしまう。
そんな諸君にヒントを提供しよう。
いかにも健常な人であるかのように振る舞う。
これである。
そんなのわかっているそれをやっても辛いからどうしようもないんだ。
というそこの君。
果たして本当に実践できているだろうか?
いかにも健常な人であるかのように振る舞うとは意外とそんな単純なものではない。
具体的に述べよう。
例えば友達とテレビを見ていて強迫観念が頭をよぎり辛くなってきたとしよう。このときこう考えるのである。
健常な人ならどう考えるだろうか?
あなた:きっとテレビや友達との会話に集中するに違いない。
健常な人ならどういう表情をしどういう行動をとるだろうか?
あなた:テレビの内容が楽しいなら笑うだろうし友達が話しかけてきたらそれに応じて会話に集中するだろう。リラックスしているに違いない。
健常人ならどういう風に目の前の物事を考えているだろうか?
あなた:きっと目の前の状況をそのままの姿として考えているだろう。
こんな感じでとにかく想像を巡らせてそれに応じた行動をとるのである。
辛くても無理に笑うし辛くても無理に楽しいと考えるのだ。
健常な人を意識しまくるというのがポイントである。
ちょっとわかりづらいのでもっと具体的に言うと
例えば電車内で手に冷や汗をかくくらい辛い状況になってその場から逃げ出したくなっても健常な人ならポーカーフェイスで普通にボーと立っているに違いないと考えてボーッとしてみるのである。
健常な人なら電車内は退屈だからここでスマホでツイッターでも見るよなと考えてツイッターを開くのである。
なんで俺は暑くもないのに冷や汗なんか書いているのだろうと考えるのである。
とにかくこんな具合でまるで健常な人であるかのように振る舞いまくるのだ。
最初は中々上手くいかないだろうしもちろん辛さも残るであろう。
だが段々と演技が上手くなっていくとそれが板についてそのうちすんなりと演技をし気づいたら自分が何に悩んでいたのかさえ忘れてしまうくらいにまでなるのである。
これを心理学用語で認知的不協和とかいったりもするが兎に角理屈抜きで実践しまくるうちに気づいたら何に悩んでいたのか忘れていたという状況が来るのだ。
ポイントがもう1つあり症状が悪化したこんなんでほんとうに治るのかという状況になってもあきらめない事である。
どんなに辛い状況が何回来ても風船がしぼんだかのようにある日突然すうーっと気持ちが楽になる日が絶対来るのである。
兎に角めげずに実践あるのみなのだ。
このサイトを気づいたら見なくなったという日が必ず来る事を保証しよう。