【神経症コラム④】不安な感情や恐怖心はどんなにつらくても見つめるだけでいい。
じっと見つめる。とにかく馬鹿みたいに冷静なくらいに平静を装うのだ。
たとえそれがどんなにつらいものであったとしても行動や表情にはだしてはならないのだ。
良い例を出そう。
タリバン勢力を追い払うためにアフガニスタンに派遣されたアメリカ海兵隊の話だ。
アメリカ海兵隊は任務をただ遂行することだけに集中するように訓練されているらしい。
いつどこで敵が出てくるかわからない状況の中突然激しい銃弾が飛び交い始まる銃撃戦。
それは映画のように生易しいものではなくひたすら銃弾に弾を装填して目先の敵集中しそして発射を繰り返すという。
「不安感や恐怖心はとてつもないが映画のようにBGMが流れるわけでもここぞとばかりの名シーンがあるわけでもない。淡々と目先の敵に向けて弾を撃つだけだ。」と兵士の一人はいう。
また戦場で弾薬が尽きて四方敵兵に囲まれたときは「神に祈り諦め死を覚悟した」とも語っている。
このときはなんとか応戦しながら間一髪のところで援軍が来て助かったそうである。
結局アフガニスタンのその任務で死んだアメリカ兵はゼロであったそうだ。
要はこういうことなんじゃないかとセルは思った。
戦場で仮に一々びくびくしていたら身がもたないだろうしすぐに敵兵に殺されて終わりである。
淡々と目先のことに集中しそのときそのときで理性的に判断する。
言葉で書くと非常に難しいが
不安な感情や恐怖心を見つめるとはこういうことではないだろうか?
こういうことを繰り返すと脳の修復回路が働き正常な思考を徐々に取り戻すのだ。
仮に悪化してるとか治りかけてたと思ったのにとか思ってもただじっと見つめるのだ。
苦しみこそ最高の良薬である。良薬口に苦しなのだ。
言葉で書くのは確かに簡単かもしれない。それは当たり前で大事なのは言葉よりも感覚だからだ。言葉というのは個々の内部表現を表出するためのツールに過ぎない。
自分の感覚を大事にして欲しい。むしろ言葉にしてはならない。
あるがままならあるがままという感覚を大事にするのだ。
見つめるという感覚を掴むこれを意識して生活して欲しい。
辛いだろうけど間違いなくよくなる。神経症の答えというのは外部ではなく内側にあるからだ。既に実は答えを持っているのだ。ただ盲目的になりそれに気づいていないのだ。そして答えを外部に求め薬を飲んだりしてしまうのだ。
淡々と生活していれば突然ふっと感覚が舞い降りてくるのだ。
だからどうかその日まで頑張って欲しい。